【考察】若菜四季は何故カブトムシではなくクワガタを選んだのか

早速ですが皆様、昨年放送されたラブライブ!スーパースター!!2期はご覧になられたでしょうか。私は見ました。見た上で頭を抱えました。

 

言いたいことは多々ありますがこの記事では言及しません。語りたいのはタイトルにもある通りLiella!2期生でありスパスタ2期からの新キャラである若菜四季について。

 

去年の4月辺りだったでしょうか。Liella!の追加メンバーとして発表されたキャラクター達のプロフィールを見たオタク達は一度は思ったはずです。

 

 

 

「なんでクワガタなんだろう……」

 

 

皆さん思いませんでしたか?少なからず筆者は思いました。

 

虫好きな女の子、という点に今更ツッコむつもりはありません。今までラブライブシリーズに存在していなかっただけで世の中には虫女なんてごまんと存在しています。この若菜四季もその一人だったというだけ。

 

ただクワガタ好きでカブトムシはそうでもないってことある?普通どっちか好きならどっちも好きなもんじゃないの?そう思ったのはきっと筆者だけでないと信じています。

 

カブトムシにクワガタムシ。その両者は形状や性質に差異こそあれど、どちらも魅力的な昆虫であることに変わりはないはず。特にカブトムシは夏の王様と称されるほどに古くからこの日本国に住まう虫好き達の心を魅了してやまない存在です。

 

なのに何故。

何故若菜四季はその中でクワガタのみを好きなものとして挙げているのか。

 

その理由を考えた末、私の中では一つの可能性が浮上してきました。それこそが

 

 

 

若菜四季は米女メイからのDVを望んでいるのではないか

 

 

 

というものです。

 

 

 

 

飛躍した推理にも程がありますね。

 

ですが筆者がこのような考えに至ったのにはちゃんと理由があります。それがラブライブ!スーパースター!!内でのとある会話でした。このシーンですね。

嵐(この私を差し置いてマルに……?)

これは千砂都と四季の間に存在する実力差を月とスッポンならぬミヤマクワガタダンゴムシで例えた……とされている台詞です。

ですがこの台詞から読み取れるものはそれだけに留まりません。重要なのは四季が自らをダンゴムシで例えたということです。

 

皆様はダンゴムシと聞いてどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。私含め大抵の人はその名前の由来ともなったあの体を丸めた姿を想像することと思います。

ダンゴムシがあのような行動を取るのは外敵から身を守るためであり、あの外骨格は守りの象徴、何もにも屈しない守りの防御の証です。つまりダンゴムシの本質とは˝受け˝にあるということになります。

 

この受けという概念をラブライブ!もとい対オタク用コンテンツに当て嵌めた際、それはご存じの通りカップリングにおける攻めと受けという役割に置き換わります。そして四季のカップリング相手には公式にこれでもかと押し出されている米女メイがいる。

 

つまりこの台詞は四季の「四季メイの受け側になりたい」という願望の表れとも言える訳です。

 

 

そしてその受けの対極、˝攻め˝の位置にミヤマクワガタを据えたのもまた彼女の願望が表れていると言えるでしょう。

 

そもそも考えてみてください。何故ダンゴムシの対極がミヤマクワガタなのでしょうか。単純に強さで比較しているならミヤマより強い昆虫なんてごまんといるし、それこそ喧嘩ならカブトムシの方が強い。

希少度で比較しているにしてもミヤマは割と普通種ですし、そもそも希少性で言うのならダンゴムシには上位互換であり生息地も深海な平安名(グソクムシ)がいます。

 

つまりそこにはダンゴムシの対極がミヤマクワガタでなければならない理由があった訳です。

 

一度四季が比較対象としてダンゴムシを選んだ時点に立ち返ってみましょう。私はその理由を四季のカップリングにおける理想の投影、˝受け˝という性質への願望の表れと仮定しました。

ダンゴムシが受けの象徴であるならばミヤマクワガタはそれとは正反対の性質を持つもの、つまり˝攻め˝の象徴として挙げられたはずです。

 

そしてミヤマクワガタをこの˝攻め˝という性質に当て嵌めた時、この種の持つとある習性が浮き彫りになります。

 

 

それが˝メス殺し˝

 

 

実はミヤマクワガタを始め、ヒラタクワガタノコギリクワガタ、海外ではフタマタクワガタの仲間など一部のクワガタにはメス殺しという行動を取る種類がいます。

このメス殺しは読んで字の如くオスがあの立派な大顎でメスを挟み殺す行為を指し、その行為に至る理由は複数存在しますが最も多い原因はメスに交尾を拒絶されたことでオスが激昂することです。要はフラれたから殺すメンヘラだと思ってください。

 

そしてそれを四季メイに当て嵌めるとこう↓

 

メイ「なあ四季、今日ヤらせろよ」

四季「今日はダメ。夏美ちゃんと約束が———、」

メイ「あぁ!? 私よりアイツの方がいいってのかよ!」(腹を殴る)

四季「メイ、やめっ……」(苦悶に顔を歪めつつも恍惚とした表情)

 

 

といった感じでしょうか。「どうして私を巻き込むんですの!?」

まあ殺しはしなくともちょっと機嫌を損ねると手を上げてくるDV彼氏のようなものです。

 

そんな展開を理想としているからこそ、四季は自身と千砂都との比較にダンゴムシミヤマクワガタを準えたのかもしれません。まあ、あの大場ななはミヤマクワガタどころの話じゃないんですが。

 

 

 

ですがこれだけではまだ根拠として弱い。

そもそもこのメス殺しという性質はヘラクレスオオカブトコーカサスオオカブトなどの一部のカブトムシにも見られるものであり、日本のカブトムシだって交尾が終わったメスを用済みと言わんばかりに投げ飛ばしてヤリ捨てることがあるという十分なDV彼氏の素質を持っています。単純な戦闘力でもカブトムシが勝るのだからクワガタを選ぶ動機は薄いと言わざるを得ません。

 

それなのにも関わらず四季がクワガタを選んだのはクワガタでなければならない理由があったからです。

 

何故カブトムシではなくクワガタムシなのか。

何故四季はメイに加虐性を求めるのならクワガタムシがいいと考えたのか。

 

その答えは、四季メイというカップリングが世に出る20年ほど前に示されていました。

 

 

 

 

皆様はこちらのゲームを御存じでしょうか。

その名も「甲虫王者ムシキング」。我々10代後半~20代後半の世代の男子ならば一度は通ったであろうアーケードゲームです。

 

そしてムシキングがどう四季メイに関係しているかというと、答えはそのゲームシステム。

 

 

このムシキングというゲームの遊び方は召喚した甲虫がじゃんけんの結果に応じて技を繰り出して殴り合う、という至ってシンプルなものです。各甲虫にはそれぞれ得意技という形でこのグーチョキパーのどれかが配られており、基本的にはパーにカブトムシ、チョキにクワガタムシ、そしてグーがカブトクワガタ共通となっております。

 

そしてこの中のグーとパーの色、どこかで見たことがないでしょうか?

そう、四季メイの髪の色。そうなるとこのジャンケン表は

こうなるんですね。つまりムシキングのジャンケン表は四季メイというカップリングの相関図でもある訳です。

 

ですがこれでは四季が攻めでメイが受けになってしまう。四季がパー、つまりカブトムシの状態ではグーのメイに対する攻め側になってしまう。それは四季の理想とは異なります。

 

しかしジャンケンにはまだチョキがある。四季かメイ、どちらかがチョキとなった途端に関係は逆転、メイが四季に対する攻めとなります。四季がメイからの攻めを期待するのならば、彼女はパーである己に辟易し、このチョキという属性に対する強い羨望を抱くはずです。

 

そして上述の通り、ムシキングにおいてチョキを得意技とするのはクワガタムシのみ。それこそが四季がカブトムシではなくクワガタムシを選んだ理由ではないのでしょうか。

 

 

 

まあそもそも四季にその気があってもメイはそんなキャラじゃないだろとお思いの皆さん、甘いです。チョコレートより甘い。

 

スパスタ2期で最も評判の良いとされている話をお覚えでしょうか。そう、四季メイ回でもある第4話です。

この話の終盤に至るまで、四季はメイに対して繰り返し「自分に正直になれ」と伝え続けていました。恐らく大半の視聴者はこの台詞がメイの˝スクールアイドルに興味がある気持ち˝に対して贈られた言葉だと思っている事でしょう。

 

ですがもし、米女メイに好きな相手を痛めつけることで愉悦を覚えるサディストの気質があるとしたら?

 

もしメイ自身がその気質を抱いて生きてゆくことに危機感を覚え、高校への進学と共に癖を封印すると決めたものの大好きなLiella!を前に情動を抑え切れずにいたとすれば?

 

もし上述したような願望が四季にあり、メイの気質を理解した上で「自分に正直になれ」と伝え続けていたとすれば?

 

 

全て、辻褄が合ってしまうんですよね。

 

 

 

信じるか信じないかは、あなた次第です。

 

 

 

 

 

今回の考察及び馬鹿話は以上となります。

 

 

ラブライブ!スーパースター!!

あの物語を見届け受け取った所感は人により様々でしょう。素晴らしいと感じた人もいれば、受け入れ難く感じた人もいることと思います。ですがどんな作品であれ、捉えよう、考えようによっては楽しめる部分を生み出すことも可能だと考えています。

 

だいぶ言葉足らずではありましたが、この記事が少しでも皆様があの作品を楽しむ上での一部になれば幸いですと綴りつつ、結びの句とさせて頂きます。

 

ここまでのご拝読ありがとうございました。

それではスパスタ3期で覚醒したメイに馬乗りになってボコボコにされながらも輝かしい笑みを浮かべている四季の姿が見れることに期待しつつ。

 

また、いつか。

観てくれ、スクールアイドルミュージカルを【微ネタバレ有】

初めましての方は初めまして、そうでない方はお久しぶりです。

 

早速ですがこの記事をお読みの貴方は12月10日より東京の新国立劇場で上演されていた「スクールアイドルミュージカル」は観劇なされたでしょうか。

 

一応公式ホームページの方も張っつけておきますね。

www.lovelive-anime.jp

まあ正直なところ実際に劇場まで足を運んだという人はそこまでいないでしょうし、そもそも興味すらないという人も一定数いることと思います。これまでのシリーズとはかなり毛色の異なる作品であることは確かですし、それが故に気が進まないという心理もあったことでしょう。実際筆者もそうでした。上演が始まる前までは。

 

でもなんか滅茶苦茶評判が良かったんですよね、いざ蓋を開けてみると(倒置法)。

 

そんでまあ、筆者はチョロいオタクですのであっさりとそんな評判に引かれて10500円という決して安くはないチケットを購入し、いざ東京公演千秋楽である12月15日の公演へを観に行きました。

アスミ・カナタちゃんのお面は気にしないでください。オタクがアクスタと写真撮ってんのと同じです(同じではない)

 

 

で、まあ先に結論から言ってしまうと

 

めっっっっちゃ良かったです。

 

 

 

ついでに要件の方も言います。スクールアイドルの物語が好きなら観てください。

 

 

とは言ってもまあ、いくらオタクが1人で良い良いと騒いでるところで観に行く気にはならんと思うので。

 

ちょっとだけ踏み込んだ話をして、個人的に感じたスクールアイドルミュージカルの魅力について語っていこうと思います。

タイトルにもある通り多少ネタバレを含むので読み進める方はご注意ください。

 

 

まあまず、まだこの物語に触れていない方が真っ先に思うのはこの疑問だと思います。

 

 

ラブライブ!にミュージカルって合うの?

 

 

この疑問に対して私めの方からご回答させて頂きますと滅茶苦茶に合います。断言できます。ベストマッチです。戦兎と万丈です。

 

そもそも元のアニメの作りからして結構ミュージカルなんですよ、ラブライブ!って。

 

無印1期1話の冒頭やススメ→トゥモロウに始まり、サンシャインなら「決めたよ Hand in Hand」「僕らの走ってきた道は…」、虹ヶ咲なら「EMOTION」等々の一部ソロ曲、スーパースターなら「未来予報ハレルヤ!」など、実際にキャラが歌い始めている訳ではないけれど物語のスタートを告げたり、その時点でのキャラの心情の象徴として楽曲が披露されることがあります。

 

これって他のアニメ作品じゃまず見ないじゃないですか。だってミュージカルの手法なんだもん。

 

そもそもラブライブ!シリーズの作品における楽曲というのは、上述したような突然作中に挟まるような楽曲のみならず、作中でライブとして披露される楽曲でさえもキャラが物語を通して得た答えの象徴やその集大成であることが多いです。

「WATER BLUE NEW WORLD」「夢がここからはじまるよ」なんかがその代表例ですね。

 

そんなラブライブ!シリーズの物語がミュージカルに合わないなんてことありますか?んな訳ないんですよね、はい。これに関してはもう約束された繚乱ビクトリーロードですので余計な心配無問題ラ!

 

一応ミュージカルってのもあって本家では絶対に歌い出さないようなキャラ(理事長とか理事長とか理事長とか)もしっかりばっちり歌唱するので、そこだけはちょっと最初は忌避感ある方もいらっしゃるかなーとは思いますが、その歌唱力が圧倒的すぎて何かもうどうでもよくなりますし最終的には皆理事長推しになってるのでやっぱり無問題ラ。

 

ていうかミュージカル特有の歌唱に乗った会話劇のテンポは小気味よく、また随所に挟まれるギャグパート?もラブライブシリーズのアニメで(特に花田さん脚本だと)よく見るこっちまで恥ずかしくなるようなネタパートとかとは違いちゃんと笑えますし、むしろ本家より楽しく見れるまであります。

 

作中でメガネっ子集団の歌唱パートがあって、こちら別にギャグシーンでも何でもないんですが、筆者はそのメガネっ子達が「なんかスタァライトの星見純那を演じてる時の佐藤日向さんぽいなぁ」と思ってしまったが最後増殖した佐藤日向の群れにしか見えなくなって腹筋が終わりました。こっちは大問題ラ。

 

と、ここまでミュージカルとしての部分について語りましたが、本質はやはり中身、作劇にあります。

ですが流石にここをガッツリ語ってしまっては滅茶苦茶なネタバレになるため多くは語れない……。

 

 

と、言う訳でこの記事では三つ、個人的に推したいポイントをピックアップして語ろうと思います。

 

 

一つ目自分達の知ってるラブライブ!だということ。

 

方向性の異なる二つの学校が舞台であり、そもそもアニメの中ではなく舞台の上という、あらゆる点で歴代作品とは一線を画する作りとなっている本作にもラブライブ!のエッセンスは受け継がれています。

 

もうちょっと具体的に言うと、

歴代シリーズでは穂乃果では「Private Wars」や千歌では「START:DASH」、侑(歩夢)なら「Chase!」を通して描かれたような輝きやトキメキとの出会い。

千歌と梨子、かのんと可可などで描かれた運命の出会いから始まる物語。

千歌と曜、侑と歩夢のように友情や葛藤に揺れる少女達の群像劇(千歌ばっかやな)

 

そこにあったのは自分達もよく知っているラブライブ!の、スクールアイドルの物語です。

 

けれども決して歴代の物語を上っ面だけ真似ているとかそういう訳ではなく、そこにはちゃんとこの物語にしかない˝新しさ˝˝面白さ˝があります。

具体的にどこがどうとかは是非ともその目で確認して頂きたいところです。

 

二つ目理事長。

 

これまでのラブライブ!シリーズには必ず舞台となる学校の理事長が登場していましたね。音ノ木坂の親鳥、浦女の小原、(スクスタ限定だけど)虹ヶ咲のランジュ母、そして結ヶ丘の理事と、これまで個性様々な理事長が登場してきました。

 

そして軽く前述しましたが、このスクールアイドルミュージカルもご多分に漏れることなく理事長が登場します。

ただまあ何と言うか、自我と存在感の塊のような非常に強烈なキャラでしてね……しかもめっちゃ声通る上に歌も上手いの。場面によっちゃ完全に主役食ってるの。

 

それが二人です。しかも対立してます。もうゴジラVSキングギドラです。

 

ただまあ終始暴れて大怪獣バトルしているのかと言われればそうではなく、このキャラ達にはこのキャラ達の物語があり、彼女達もまたこの舞台を彩る重要なピースとして存在しています。

 

これまでのラブライブ!シリーズではあまり描かれてこなかった大人の世界というのがかなりしっかりと描かれており、それが主役である少女達の世界に与える影響や、その両者が対比されることでそれぞれの物語がより際立つなど、理事長達の物語だけでもかなり見応えのあるものへと仕上がっています。

 

これは2人が幸せな手を繋いで終了するまでの物語です。

 

 

オールハイル、キョウカ。オールハイル、マドカ。

 

 

 

そして三つ目なんですが……こちらは結構大きなネタバレとなりますので、再度のアナウンスとなりますが知りたくないという方は飛ばしちゃってください。リンクが張られてるところが目安です。

 

 

 

ではいいですね?三つ目のポイント紹介に移ります。

 

実はこのスクールアイドルミュージカル、物語の開始時点で世界にはスクールアイドルというものが存在していません。なので仮に歴代作品のどこかと世界線を共有しているとするなら、最も古い時間軸の物語となるでしょう。

現に作中に「ラブライブ!」という単語は一度も出て来ず、「スクールアイドル」という単語が初めて飛び出すのも終盤になってからです。

 

それが何を意味するか分かりますか奥さん。そう。これは「スクールアイドルの存在しない世界にスクールアイドルが誕生するまでの物語」と言える訳です。

 

どういった経緯でスクールアイドルが誕生したのか。彼女達は如何にしてスクールアイドルとなったのか。何故スクールアイドルである必要があったのかァ。その答えはひとぉつ……

 

そんなスクールアイドルという存在の根幹に触れる物語であった。そう言って差し支えの無いものだったと思います。

 

 

 

 

 

どうです?もうこの部分だけで結構観に行きたくなりません?

そんな貴方に朗報です。

www.lovelive-anime.jp

残念ながら東京公演は12月15日の回で幕を閉じてしまいましたが、列車は必ず次の駅へ。では舞台は?そう、大阪へ。

まだ年明けに行われる大阪公演が残っています。スクールアイドルミュージカルが気になっているという方、まだあの舞台が眩しいという大場ななの皆さんは是非ともこの機会を逃さぬようにと願っております。

 

取り急ぎ書いたものなので技術的にも内容的にも色々と足りていない部分はありますが、少しでも興味を持って頂けたらと思います。

 

 

最後に筆者からアドバイスです。

 

後悔先に立たずと言います。

 

 

 

 

迷ってるなら行け!!!!!

 

 

 

Aqoursに終わって欲しかったオタクの話 with 6thライブ感想

 

 

手を伸ばして!

 

 

大きな世界 広い世界が 待ってるんだ

 

Fantastic Depature!

 

 

 

 

 

……待っているはずでした。

 

 

 

5thライブにて˝新しい輝き˝へと手を伸ばしてから約1年。6thライブツアーのテーマソングである「Fantastic Depature!」を引っ提げ、未知なる大海原へと出向したはずのAqoursに降りかかったのは見えない厄災。

 

 

節目の年を虚無に過ごし

 

過去最大規模のドームツアーは流れ

 

その後も、足搔こうとする度に現実に叩き伏せられてきた。

 

 

 

そんな折に発表されたのが新たな6thライブツアー

 

Aqours 6th LoveLive! ~KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR~

 

でした。

 

(以降調子のいい時の校長先生並みにクソなげぇ話が続くのでWINDY STAGEの感想だけ読みたいという方はそちらまで飛ばしちゃってください)(校長だけに好調ってか)(ハイハイ或人じゃないと)

 

 

 

 

選手宣誓 お気持ち表明

 

Aqoursには出来る限り続いて欲しい反面、どこかでしっかり区切りをつけて欲しいと思ってる自分もいる」

 

6thライブ埼玉公演にて、共に参戦した友人にこんな話をしたのを覚えています。

この友人はかなり熱心にAqoursを追っている人間であるため直接的な表現は避けたのですが、これを口にした時、自分の中での後者の想いはかなり大きなものでした。

 

大丈夫だとは思いますが一応弁明しておくと別に今のAqoursが嫌いとかそういう訳ではなく。

 

ただこう、何と言うんでしょうね。

元々この筆者が「終わり」に重きを置いてこのシリーズを追っていた部分が大きかったことに加え、この先のAqoursが、もといラブライブ!サンシャイン!!の向かう先が全く見えない。そんな事態に漠然とした不安を感じていたのかもしれません。

 

実際、2020年以降のAqoursの活動やそれを取り巻くファンの空気感に思う部分があったのは自分だけではないと思います。

「きっとまたAqoursに会える」。そんなタグから始まった流れはいつしか公式にも伝播してゆき、気付けばコンテンツ全体に感傷的な風潮が生まれていた。

 

勿論それ自体が悪いことではないのはわかっている。いつかの再開を願い希望を持ち続けることはきっと美しいことだ。

Aqoursだってそう。どんな時でも足搔き続けてきたからこそ5thライブでの輝きがあったことはわかっている。

 

でもこの流れは決して喜ばしいことじゃない。言い方は少しアレですが、オタクと一緒に傷のなめ合いを続け、それをエモいの言葉で片付けるコンテンツに輝かしい未来があるようには思えなかった。

正直コンテンツそのものが先細りしているような感覚があったのは否めなかったし、事実Aqoursから離れていくオタクを見たのも一度や二度じゃなかった。

 

俺の見たかった˝新しいAqours˝はこんなんじゃない。でもここで離れる選択は取れなかった。

μ’s全盛期にラブライブ!を知った中学2年生の頃に出会ってから早7年。筆者はこの作品に貰い過ぎたし、あの18人を好きになり過ぎてしまった。どこかで心苦しく思いながらも離れられない状態が続いていた。

 

だからこれ以上衰え続けるのなら、美しい思い出のまま幕を閉じて欲しい。

 

 

そんな身勝手な想いがあったのは事実です。

 

 

 

KU-RU-KU-RU Rock 'n' Roll TOUR

 

上述のことから大体お察しかとは思いますが、題名新たにこの6thライブツアーが発表された際は喜びよりも不満の方が大きかった、と言うのが正直なところでした。

 

そりゃそうでしょう。我々が失ったのは「Fantastic Depature!」の名を冠した5大ドームツアーであり、それをどっかのソシャゲとのコラボソングにNTRれるなんてたまったモンじゃありません。

 

まあ、別に違う曲が表題を飾る、と言う事象自体は別にいい訳です。

 

ただなんだよクルクルクルーラーって。お前の頭がクルクルクルーラーだわ。明らかにこれまでナンバリングライブの表題飾ってきた曲に比べて浮いてんじゃねーかふざけてんのか。信じて待ってた6thライブツアーちゃんがどこぞのソシャゲかぶれの楽曲に奥までたっぷりストライクショットされて戻ってきてみろ。俺が親なら卒倒するわ(???????)

 

……まあ要するに、一種の神域でもあったナンバリングライブの表題をまるでその場しのぎのようにぽっと出のコラボソングが飾ってしまったことが納得いかなかった訳です。楽曲自体はとても好きなので猶更。

 

 

 

SUUNY STAGE

 

などと愚痴ってはいたものの、しっかりばっちり埼玉公演両日参戦キメる信者ですこの筆者は(名古屋は虹4thもあった関係上金がなくアーカイブで妥協)。

4thライブ以来の参戦でワックワクの相方と共に向かった現地。Aqoursのワンマンでは殆ど3年ぶりであるメットライフドーム改めベルーナドームにて筆者達が見て感じたことは――――――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっっっっっっっみい!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやマジで、ガチのマジでさっむい。

名前を改める前に構造を改めろ。なんで屋根閉まらないんだよお前。Day2のドリカラのタイミングで西日を差した仕事は評価してやらなくもない。ライブが進行すると共に暗くなっていくのも趣きがあって好きだ。

 

ただそれを差し引いてもやっぱ寒いんだよ。

2nd3rd5thと通い続けてると流石に愛着も湧いてくるけど、やっぱクソい部分はしっかりクソい。悪い意味でライブ中に死を予見したのは初めてだったわ。

 

 

 

 

「次はもっと暖かい場所でライブがしたい」

 

 諏訪ななかさん、愛してます。

 

 

 

 

とまあ余談はさておきライブ自体の感想ですが、シンプルに楽しかったの一言に尽きますね。

あんだけライブタイトルに不満垂らしてた筆者でさえ頭クルクルクルーラーされる程度には楽しいライブでした。空振り三振でゲームセット。コットンキャンディーはマジでズルいだろアレ。

 

ただ、自分が今のAqoursに求めているものがそこにあったのか、と問われればそうではありませんでした。

 

 

今のAqours

 

「これまではラブライブ!サンシャイン!!Aqoursの物語を作ってきたけど、これからはAqoursラブライブ!サンシャイン!!の物語を作る」

 

(Day1Day2どっちだったかは忘れましたが)埼玉公演のMCにて、降幡愛さんが語ってくれたことです。

今のAqoursの進む道とは、降幡さんのこの言葉に詰まっていることと思います。

 

この道の始まりはやはり2年半以上前、「Aqours 5th LoveLive! ~Next SPARKLING!!~」

 

5thライブに置けるAqoursの問題、アニメの物語が幕を閉じてしまったことでしょう。これからはこれまで基盤にしてきた物語が無くなってしまうのだから。3rdライブにて鮮烈なシンクロパフォーマンスを見せつけたからこそ、その事実は重く圧し掛かります。

 

それだけに留まりません。最大の問題は、アニメにおけるAqoursは6人で続けるという選択を取りましたが、現実ではそうはいかないということ。だってそうでしょう?形だけ真似て3年生組だけがグループから脱退するなんてことは出来ない。作中にて「Aqoursは何人と決まっている訳じゃない」と発言した千歌に対し、キャストさん方、特に伊波杏樹さんは繰り返し「この9人こそがAqours」と強調しているように、現実のAqoursは人数やメンバーを変える選択は取れない訳です。

 

けれど先代であるμ’sのように基盤となる物語が幕を閉じたから現実でもFINAL LIVEをする、と言う選択も直ぐにはとれません。

何故ならμ’sを終わらせた穂乃果達と違い、千歌達は˝Aqoursを続ける˝と言う形を選んだのだから。その部分でのシンクロは貫かなければならない。

 

結果として劇場版での結論は再現できない。どうであるにしろAqoursはアニメとの分岐を迫られていた。終わるにしろ続けるにしろ、どこかでアニメとは異なる結論を示す必要がありました。

そして実際、伊波さん等は分岐と言う選択を取りました。それこそが5thライブで示された道。

 

では分岐をした先の道で何を成すのか、自分がAqoursに求めていた答えでした。

 

 

※この先「考えすぎやろwww」や「妄想厨乙www」などと思われかねない部分が多々存在するため賢明な皆さまは一度声に出して発散しておきましょう。

いいですか? Repeat after me.

 

せーのっ―――死ね。

 

 

 

 

言いました?言ったね?これでお前とも縁が出来た。

てなわけでいきましょう。

 

 

 

 

 

今のAqoursの道。

直近でその道の何たるかを示したのは、やはりラブライブ!シリーズ初の実写MVであった「DREAMY COLOR」であると思います。

 


巷では「アニメとのシンクロをかなぐり捨てた」なり「ラブライブの強みを消した」などと意見されているこちらですが、まあ正直そう思われても致し方のないものだとは思ってます。だって今までのラブライブにはない試みなのだから。逃げるような物言いですがこれに関しては善も悪もない、本当に受け取る側の考え方次第です。

 


で、まあじゃあお前はどう捉えてんだって話ですが、自分は今のAqoursに関してはこれすらもシンクロパフォーマンスになり得ると考えています。

 


例を挙げてみましょう。自分達は過去に同様の景色を見ていたはずです。

 


例えば3rd福岡の「DROPOUT?」

劇中では理亞の転倒により完全な形で披露することの叶わなかったその歌。聖良と共に立つ最後のラブライブの舞台に強い気持ちで挑んでいた理亞は、きっとその失敗を悔やみ、もう一度ステージに立つことを願ったことでしょう。

そして劇中では決して叶うことの無いその悲願は、現実世界のSaint Snowの2人によって達成されます。

 


例えば4thの「想いよひとつになれ

作中において本来この曲は9人で披露されるはずのものでした。けれど梨子がピアノのコンクールに出場するという都合から急遽8人での披露を強いられることとなります。

 


「本当は9人そろって大会に出たかった」

 


これは2019年、NHKにて放送された「Aqours 東京ドームへの道」にて、我らが伊波杏樹さんが発していた言葉ですが、これには当時首が折れるくらい首肯したものです。

 


梨子も、他のメンバーも、同じステージで歌い踊ることを望んでいた。

 


つまり作中では叶うことの無かった9人での「想いよひとつになれ」の披露を、現実世界のAqoursが叶えた、と言う形にもなる訳です。

 

 

 

 

例えばラブライブ!フェス!の「WATER BLUE NEW WORLD」と「Believe again」

 


「決勝はこの衣装とこの曲で挑むつもりだった」

劇場版にて聖良がそう零したように、「Believe again」は本来ラブライブの決勝で披露されるはずの曲でした。

けれどそれは叶わなかった。たった一つの失敗によって潰えてしまった。きっと当人達を含む多くの者が決勝の舞台に立つSaint Snowを望んだものだと思われます。

 


そしてそれはラブライブ!フェス!と言う夢の祭典で叶えられます。

 

Aqoursが、Saint Snowが、あの世界のファンたちが、そして自分達オタクが望んだ˝幻のラブライブ勝戦˝がそこにはあったのです。

(あれ半分くらいセイスノじゃね?)

 

これらはその先のAqours、もといラブライブ!サンシャイン!!が進む道の先駆けだったように思います。

千歌達2次元のAqoursが叶えられなかったことを伊波さん達3次元のAqoursが叶える。それもまた一つのシンクロパフォーマンスの形であり、とても素敵な物語でしょう。

 

 

まあ正直妄想もいいところ。正しい保証もない自らの理想で凝り固まった妄想に浸って一人で気持ちよくなっている、ただのオ〇ニーです。

けれど何かを推すことって実際そんなモンですから。自分勝手に理想を押し付けて合致すれば喜び違えばキレ散らかす。オタ活なんてそれでいいと思います。

 

と、いう訳で自分の掲げた理想も一つのオタクの形として受け入れてもらうものとして。

 

ともかく、自分が求めていたのは形式を真似る˝アニメ準拠˝という枠を超えた2次元と3次元のシンクロ。基盤となる物語が幕を閉じたからAqoursだからこそ出来るパフォーマンスがある筈でした。

 

ですがこのコロナ禍によってその道立ては叶わず、挙句コンテンツそのものも迷走するような事態に。

ようやくの開催となった6thライブでもその答えは示されないままでした。

 

 

ですが6thライブはそこで終わりませんでした。

追加公演、WINDY STAGEの発表です。

 

 

 

WINDY STAGE

 

 

 

2度目の東京ドーム。

ようやく叶ったこの舞台への凱旋。

 

苦節の時間を乗り越え、約束の場所へと舞い戻った事実はきっと輝かしいものだ。

 

でも面倒くさいオタクである自分はそれにすら不安を覚えていて(SUUNY STAGE Day2で発表された瞬間は普通に泣いてたけどね)。

追加公演という形も相まって、「今まで辛かったね」「でも皆がいたからここにまた帰ってこれたよ」と、昨今の感傷的な空気感のまま消費されてしまうのではないかという不安が少なからず存在していた。

 

そんな嬉しくかつ楽しみに思いつつも悶々とした日々を重ねること早3ヶ月。気付けばドーム公演当日まで来ていた自分はその場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ななか、嘘だよな……

 

 

いや暑っい。前年比+8℃は流石にバグでしょ。なんでSUUNY STAGEよりSUUNYしてんだ。暖かい場所ってこういうことですか?????????

 

ある意味全盛期のAqoursらしい天候ではあったけど流石に命の危機を感じたので開場と同時にドームに避難。某ベルーナとは比べ物にならないほど整った空調設備の中でくつろいでいると凄く聞き覚えのある声で場内放送が掛かった。

 

高森奈津美さん……即ちアキバレポーターによるアナウンスである。

ああやって作中のキャラを演出の一部として組み込んでくれるのは流石ラブライブというか、これから臨むライブへの没入感があそこで一気に増した気がします。(Day2はよいつむトリオか月ちゃんが担当してくれるのかな~とか思ってたけど全然そんなことはなかった)

 

そんなお膳立てもあり徐々に高まってゆくボルテージの中告げられた浦の星交響楽団の登場。

ここまで約6000字使ってたっぷり前置きしましたがようやくWINDY STAGEの感想に移ります。

 

 

 

1曲目

なんどだって約束!

 

「あ、今回は期待していいかもしれない」

この曲が初手に来た時、自分の中で安堵と期待が湧き上がるのを感じた。

 

順を追って話しましょう。

正直最初は「˝No.10˝枠かぁ……」とか思っていたし、今回の東京ドーム公演に臨むにおいて一番の不安材料だったと言っても過言ではありませんでした。

理由は上述した通り、昨今のAqoursに溢れていた感傷的な空気感をモロに表したような楽曲であったから。

 

だから無難なセトリでライブをこなした後、「辛いことばかりだったけどこれまで支えてくれていありがとう」「これからもよろしくね」と、本っっっ当に言い方は最悪だがエモを推し売るようにこの曲で〆る、という形ばかり想像してしまって気が気ではなかった。

 

でもAqoursは違った。初手から約束を果たすことでこれまでの禊を済ませてくれたのです。

実際この曲が持つ意味自体は変わってはいないのでしょう。でもだからこそ最初から披露することに意味がある。約束を到達点と誤認しいつまでも引き摺っていたのはこのオタクの方で、今のAqoursにとっては1つの通過地点でしかなかったのです。

 

果たされたのは˝これまで˝の約束。故にその先に描かれるのは˝これから˝でした。

 

てかまあ、曲自体の評価に散々言ったけど曲調自体は楽しい曲なのでNo.10とはまた違うと思ってます。演出面もクソデカモニター君に9分割でそれぞれのメンバーが映し出された瞬間は何か奥底から沸き立つものを感じましたね。

 

2曲目

未体験HORAIZON

 

「WINDY STAGEへ、ようこそ~!」

 

ラブライブ!フェス!を彷彿とさせる高槻かなこさんの口上によって幕が開かれたこの曲は本来5thライブ後のAqoursの新たなスタートとなるはずの曲でしたが、お察しの通り直後の悲劇によってそれは叶わなかった。

だからこそ一つのケジメである約束を果たした今、新たな水平線の先を指し示すべくこの曲で幕開けを告げる。もうこの時点でクソめんどくさい蟠りを抱いていたオタクは除霊されて滅茶苦茶に光る棒をぶん回す何かへと成り果てていましたね。

 

余談ですがラフェス当日、高校3年生かつ受験生であった自分はセンター試験会場に監禁されていた為、ようやくこの形でこの曲を拝むことが出来たなぁと、二重の意味で嬉しい選曲でした。

 

 

3曲目

DREAMY COLOR

Future flight

 

未体験な水平線を指示した後に披露されるのが今のAqoursの象徴とも取れるこの2曲で来るんですよ。どれだけ俺を喜ばせれば気が済むんですかね。

特にドリカラに関しては上述した通り新しいAqoursの形を指し示す1つの楽曲でもあるため、正しくこのタイミングで披露するに相応しい曲と言えるでしょう。

 

 

5曲目(Day1)

未熟DREAMER

 

で!その後にこの楽曲を持ってくるのが本当に憎いところなんですよ奥さん。

 

このクソ長文ブログをここまで読んでくださった根気強い皆様なら既にお察しかと思いますが、3年生組での「未熟DREAMER」の披露とはアニメ内にて旧Aqoursが成し遂げられなかったものなんですよね。つまりこれもまた上述の通り2次元のAqoursが叶えられなかったことを3次元のAqoursが叶えたことになるんですよ。

 

それをソロ楽曲の衣装着替えの繋ぎに使っちゃうところがねホントもう……。

「もう今のAqoursはその程度のこと平然とやってのけるんだが?」と、どや顔している諏訪ななかさんのご尊顔が目に浮かぶようでした。コイツ諏訪ななかさん好き過ぎるだろ。

(今更ですが全曲にコメントしてると文字数がえげつないことになる(なお現時点で7000字)ので特に印象に残った曲だけをピックアップしていく運びとさせて頂きます)

 

 

だが違和感がある。アニメのIFをキャストが描くシンクロパフォーマンスをこんな序盤で切ってしまうのなら、この先のセトリでAqoursが示そうとしているものはなんなのか。

 

そんな疑問に悶々としつつ次々に披露される楽曲を浴びていた折、事件が起こります。

 

そう、˝奴˝が現れたのです―――、

 

 

 

12曲目

Next SPAKLING!!

(コイツ善子ソロに触れないってマジ?)

 

メインステージのクソデカスクリーン君に親の顔の次くらいには見た劇場版のワンシーンが映し出された時、冗談抜きで呼吸が止まったのを覚えている。

 

「Next SPAKLING!!」

劇場版において千歌達Aqoursの結論を示した曲であり、5thライブにて伊波さん達Aqoursがアニメからの分岐を示した曲。自分達オタクにとっても大事な曲だ。

(この筆者は「劇場版ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」が好き過ぎるきらいがあるためガチでネクスパについて語ろうとすると本っっっ当に長くなってしまうので簡潔に済ませますが、この楽曲の2番における立ち去ったはずの3年生と共に歌うシーンは言わば千歌達6人の心情や心持ちを視覚化したものであり、˝3年生組を含めた9人のAqoursでの道があったから今こうして6人のAqoursとしてこのステージに立っている˝、という意味を含んだシーンとなっています。ここテストに出るので覚えておきましょう)

 

5thライブにおいてアニメとは違う形でこの曲を披露した理由は言うまでもないでしょう。繰り返しますがアニメとは違い3次元のAqoursはあの9人で進んでいくのだから。必然的にこの曲が帯びる意味もアニメとは変わってくる。あの瞬間のネクスパはあの9人で進み続けるための曲だった。

 

そんな曲がこのタイミングで披露されたのです。それも1,2年生と3年生が別々の場所で歌い踊るという、完全再現となる形で。

 

元々この形での披露を5th前から望んでいた自分は今回の演出に落涙を止められなかったのですが、この面倒くさいオタクにはやはり違和感が付き纏います。

 

このタイミングで改善再現をした意味、意図とは一体なんなのか。

その疑問の答えは次に披露された曲が示してくれました。

 

 

13曲目

i-n-g,I TRY!!

 

ネクスパの後に披露される楽曲なんてこれ一つしかないでしょう。

ここで恒例の自分語りなのですが、筆者はこの「i-n-g,I TRY!!」という楽曲が本当に大好きでして。

 

 

 

 

 

 

こちら筆者の3年前のツイートなのですが、当時授業中に英語のカンマ、つまり「,」の意味を理解した自分はふとこんなことを思いました。

カンマは文末に用いられるピリオドとは異なり文を区切りはするものの文章そのものを終わらせることはせず、後に続く言葉へと文脈を繋ぎます。そしてそのカンマが「i-n-g,I TRY!!」には用いられているんですね。

 

そして頭を飾るのは「Next SPAKLING!!」から続くingの文字。つまりこの曲はネクスパの続きに当たる物語であり、ピリオドではなくカンマを用いることで「1度区切りはしたがこの先も物語は続いていく」ということを表しているんですよね。

 

この6thライブにおいての意味もそれと同じでしょう。アニメはとうの昔に終わった。これからは違った道を進んでゆく。けど、これからもその物語を背負っている事実は変わらない。この曲は、あのパフォーマンスはその証明だ。

 

筆者はコロナ禍前に「6thライブのセトリは「i-n-g,I TRY!!」から始まるんじゃないか」と予想していたこともあったので今回のネクスパ→ingの流れにはかなり嬉しいものがありました。

 

 

ところでこのツイート、発信されたのが6月26日なんですが丁度この3年後に「i-n-g,I TRY!!」の初披露となったこの6thライブの開催日なの、何か運命的なものを感じますね。うふふ。

 

おめでたいので復唱しておきますか。

 

ご唱和ください我の名を

せーのっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

コイツ高3の夏にやっとカンマの意味覚えたってマジ!!!!????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(受験の方は辛うじて何とかなりました)

 

 

 

 

浦の星交響楽団 オーケストラパート

 

DETERMINATION

ONE FOR ALL

Everything is here

起こそうキセキを!

 

 

幕間パートで殺しに来るのおやめになって頂いてもよろしくて??????

1つ1つがプレミアム殿堂並みの劇伴を4連続でお出しするんじゃありません。デッキに1枚も入れられないカードを4投もしちゃうなんてカトタツと来たら、お茶目なんだから♡

 

特にEverything is here、イントロが聞こえた瞬間からもうヤバかったですね。繰り返しますが筆者は「劇場版ラブライブ!サンシャイン!! The School Idol Movie Over the Rainbow」がダイヤ→ルビィの愛情並みに大好きなため作中屈指の名シーンにて用いられたこの曲を前には床になる他ありませんでした。

 

この公演の2日前に沼津に赴き、浦の星女学院のモデルとなった長井崎中学校(現 長井崎小中一貫校)の周辺をこの曲を聴きながら散策していた為感情の昂ぶりはひとしおでしたね。

 

余談なんですが長井崎の生徒さん、すれ違う時に必ずと言っていい程挨拶してくれるんですよね。地域性が表れているのか、将又キモいオタクには気を付けろと再三の注意を受けているのか。うふふ、キモくてゴメンね。

 

 

 

14,15曲目

KU-RU-KU-RU Cruller!

Deep Resonance

 

アニメ世界での区切り、そして今も進み続けていることを歌った楽曲の後に披露されたのはアニメ完結後に発表されたこの2曲。

 

14曲目は某引っ張りハンティングゲームとのコラボソングであり、今回の6thライブの表題を飾った曲でもある「KU-RU-KU-RU Cruller!」

まあ冒頭のお気持ち表明の通りこの曲が6thの名を冠してしまったことには未だに不満垂れっ垂れではあるのですが、サビの

 

どうなっちゃうんだ? 楽しいなら大丈夫さ

新しいやり方で Make you happy!

KU-RU-KU-RU Cruller!

 

という歌詞はある意味で今のAqoursらしいなと思ったりしましたのでまあ、シンプルに曲単体として楽しいことも加味して他の曲が飾るよかまだいいかなと自分の中で決着を付けたり(手のひらR3BIRTH)

 

15曲目もまた某メンコゲーとのコラボソングである「Deep Resonance」

曲単体の強さもさることながら、これに関しては未ホラもそうですがかつての東京ドーム公演でセンターへの意気込みを見せたメンバーが交響楽団のオーケストラをバックにバチバチのパフォーマンスをぶちかます姿に感銘を覚えたりもしました。

 

昨今の風潮的にあまり大声では言えませんが、ディレゾで白一色に染まった会場の中で点々とUOが輝いている様は中々綺麗で趣きがありましたね。

 

これら2曲の特徴と言えばやはりラブライブ!とは一線を画する世界観を持つ他作品とのコラボ楽曲であるということ。

アニメの先の物語を示すはずの「i-n-g,I TRY!!」の後にどうしてこの2曲が披露されたか、についてですが、これは後のお知らせでアニメ化が発表された「幻日のヨハネ」が関係していると思っていて。

 

 

(本当に考えすぎだとは思うのですが)「幻日のヨハネ」という、これまでのラブライブ!シリーズとは全く異なる作品、世界観への移行を示していたのでは……と、Day2終演後に寄った秋葉のマックで思いました(粉みかん)(多分アニメ完結後の楽曲で勝負しようっていう意味合いの方が強そう)

 

 

 

 

18曲目

smile smile ship Start!

(別名マナカケンゴォ)

 

「KOKORO Magic˝A to Z」˝に「i-n-g,I TRY!!」

ライブ中「ようやく救われて涙が止まらねぇよ」と口走った曲が今回のセトリには多く存在しますが、その中で最もそう感じたのはこの曲かもしれません。

 

「smile smile ship Start!」

それは˝本来の˝6thライブツアーのテーマソングに歌詞を付けた一曲であり、5周年の記念ライブと題された「Aqours 5th Anniversary Love Live! Let`s GO WANDER TRIP」のテーマソングでもありました。

 

だがこの両公演はどちらも中止となってしまった。故にこの曲は2つの傷を背負った、言わば足踏みを続け、呪われているとまで称されたこの2年間の象徴とも取れる曲でした。

 

だからこそこの場で披露して欲しい。そう言った理由もあって今回のオーケストラ投票ではずっとこの曲に票を入れていたので流石にスマイルスマイル。

この時本当の意味でAqoursはこの2年間の清算を果したように思えました。(やっぱりコイツが一番過去に囚われてる件について)

 

 

 

アンコール

君のこころは輝いてるかい?

SUKI for you, DERAM for you!

 

青ジャンやみら僕といった所謂定番曲を抑え、比較的新しい目の曲に寄せていたセトリのアンコールを務めたのは定番曲であり始まりの歌でもある「君のこころは輝いてるかい?

ここへきての原点回帰でしたが、これに関しては流石の一言。

だって新しいAqoursはここから始まるんですから。だったらいつだって始まりを告げてきたこの曲程相応しいものはないはずです。

 

 

そしてトリを飾ったのは「SUKI for you, DERAM for you!」

スキドリは今回のWINDY STAGEのみならず名古屋、埼玉と全ての公演でライブの締めを務めてきたこの曲。故に本当の最後となった東京ドームDay2での特殊イントロは我々に様々な思い出を想起させます。

 

先行きの見通せぬ不安を覚えながらも、変わらぬ力強さもまた確かに感じ取った名古屋公演

 

再びの東京ドームでのライブが発表され泣きながら暴れ散らかした埼玉公演

 

そして新規アニメーションである「幻日のヨハネ」の発表

 

あの瞬間に満ちる感情や思い出は人それぞれでしょうが、故にそのが9人全員での「大好き~!」によって決壊させられると同時に始まる歌唱パートには無二の爆発力と輝きが宿っていました。

個人的にはこの6thライブツアー1番の演出だと思ってます。

 

筆者はこの曲がテーマソングを務めた「輝け!Aqoursぬまづフェスティバル」にも1度とは言え参加していたため一層込み上がってくるものがありましたね。本当にいいイベントでした、ぬまフェス……。

 

 

 

Wアンコール(Day2のみ)

なんどだって約束!

 

この曲がトリを務めることに不安を覚えていたのは言うまでもないでしょう。でも既にその約束を果たした後ならば、その約束はまた違う意味を帯びることになる。

 

1曲目の「なんどだって約束!」が˝これまで˝への禊であるのなら、Wアンコールによって披露された2度目の「なんどだって約束!」は˝これから˝への約束。

 

遅くはなってしまったけれど、必ず新しいAqoursを見せるという約束。

 

次のライブまでまた時間は開いてしまうけど、待っていてねという約束。

 

またこの場所に帰ってくるという約束。

 

人によって感じ取る約束の意味は違うだろう。

でも、必ずまた会おう。それだけは、あの場にいた全員に共有された想いだと信じたい。

 

今更こんなことを言うのは都合がいいかもしれませんが、新たな船出を示したこの6thライブツアーを締めくくるに相応しい曲だったと思います。

 

 

 

 

(以下突然の箇条書き)

 

 

 

 

総括

 

そんなこんなでAqours6thのライブツアーは新たな一歩を示して幕を閉じた。その一歩とは地図の無い航海への旅立ち。これまでのラブライブ!の形から脱却するという、それこそ未知なる道だ。

 

既に浸透しているラブライブ!の形から離れてゆくことに少なからず不安を覚える者もいるだろう。筆者だってその一人だ。

でも「アニメーション映像とシンクロするラブライブ!」というのは、あくまでも先代であるμ’sが作り出したラブライブ!の形であるということを忘れてはいけない。

 

アニメ1期12話において、千歌達Aqoursはただμ’sの背中を追うことを止めた。いつまでもμ’sに倣っていては、その光に手は届かないから。真の意味で自分達だけの輝きを見つけるために、Aqoursだけの道を進み出した。

 

それは伊波さん達Aqoursも同じはずだ。Aqoursだけの輝きを見つけるために、Aqoursだけの道を進み、Aqoursとしてのラブライブ!を作る必要がある。作中のIFとなるパフォーマンスをキャストが行う、というのはもしかしたらその先駆けだったのかもしれない。

 

現に後続である虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はソロメインでの活動やメンバーの追加、Liella!もメンバー追加や作中キャラクターの進学という形でμ’sの作ったラブライブ!からは徐々に脱却しつつある。(コンテンツのマンネリ化を防ぐというメタい意味合いもあるだろうが)後輩達が既にその道を模索し始めている以上、先輩であるAqoursもまたAqoursラブライブ!を作り出し、それを示す必要があるだろう。

 

 

予期せぬ事態で遅くはなってしまったが、遂にAqoursにもその時が来たということだ。

 

 

冒頭で筆者はどこかでAqoursにはその物語に幕を下ろして欲しいと思っている、と書いた。公演前と多少形は変われどその想いは今も存在している。

少なからず今すぐ終わって欲しいとは思わなくなった。これからも追いかけていたいとも思っている。でもどこかで必ず終止符はうって欲しい。

 

歴史も、物語も、生命だってそう。万物とは終わりこそに美しさが宿るものだから。

 

でもその美しさとはそこに至るまでの過程があるからこそ、過程を経たからこその結論があるから輝くものだ。

 

だからAqoursがその結論を見せてくれるまで。

美しい幕引きを、良き旅の終わりを見せてくれるその日まで。

 

Aqoursの紡ぐ物語が進む先を見届けてゆきたい。そう思わせてくれる、いいライブだったと思う。

 

 

 

 

どんな未来かは、誰もまだ知らない。

でも、あの18人なら必ず素晴らしいものを見せてくれると信じて。

 

 

ゼロからイチへ

 

イチから、その先の未来へ

 

 

桜坂しずくとか言うやべー奴~5話感想~

雷鳴が胸に鳴り響いて

 

閉じ込めていた感情が 溢れ出してゆく

 

もう 見失ったりしない

 

私だけの想いを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ開かれたのはパンドラの箱だったんですけど

 

 

 

 

 

 

 

 

「開幕♡ドリームランド♡」

 

 

せーのっ!

 

どうも2話おきに感想を書くよくわからないオタクです。

えー、4話での次回予告は何事かと思いましたよ。なんか突然えっちな女がえっちな声でえっちなタイトルコールしてるんだもん。ソープ開演の合図かと思ったよね。行ったことないですけど。

 

で、まあそんなそんな感じで点火されたえっちコンロに胸と股間を踊らせること1週間。

遂に訪れたラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会5話で起きた3つの出来事!

 

 

1つ!

部活の先輩でnmmnカプ妄想を繰り広げるクレイジー桜坂!

 

2つ!

それを他の先輩に持ち掛けた挙句本人達にもカミングアウトするクレイジー桜坂!

 

3つ!

最終的に自らもその輪に入るクレイジー桜坂!

 

 

???「もう、このぉアイドルアニメは終わりだぁ!」

 

 

なんか脳内百合畑が好き勝手暴走して反省して立ち直ってたらアニメ終わってましたね。

 

やっぱ1話のストーリーなどでは纏められないほどA・ZU・NAの歴史は魑魅魍魎だったんだなって(白目)

 

 

 

桜坂しずくの本質

 

ふざけて終わるのもアレなんで少しだけ真面目な方も書きますよっと。

今回の2期5話までに桜坂しずくが掘り下げられた回と言えばやはり「Solitude Rain」の披露回でもあった1期8話。実は自分、あの回には割と不満を持っていた人間でして。

 

何故かというと劇中で彼女も口にしていた「本当の桜坂しずく」とは何であるかが不明瞭なままであったからなんですよね。確かに本当の自分を曝け出せるようになれたのかもしれないけれど、結局その本当の彼女が明らかにされないまま終わってしまったためイマイチ乗り切れなかった、というのが正直な感想でしたね。

 

噂によるとフォトエッセイの方で掘り下げられてはいたらしいですが自分は読んでない為本当の桜坂しずくが何者であるかはわからずじまいでした。

 

そんな禍根もある中迎えた2期5話はまー見事に桜坂劇場全開でしたね。不満タラタラだった自分は無事成仏しましたよ。ここまでやれとは言ってないけど。

 

でまあ、そんな少々過剰とも思えるレベルで描かれた「本当の桜坂しずく」とは「世界の想像とその創造」。先輩で繰り広げたいかがわしい妄想すらも形にしようとするようなド変態こそが彼女の正体だった訳です。

 

別に悪口ではありません。むしろ創作者としては当然のこと。自分も物書きの端くれなので自信を持って言えますが創作者なんてのは大体変態です。自身が悦に浸るためのオ〇ニーを世間におっぴろげる。創作の基盤なんてこんなもんですから。

 

そしてしずくもその一人。彼女は定められた物語を表現する役者である以前に、自ら物語を創造する一人のクリエイターだった訳ですね。これに関しては1話冒頭のSIF告知映像でも桜坂監督という形でその気質が表れていたので非常にいい導入だったと思います。

 

正直スクールアイドル要素の薄かった1期8話に対しちゃんと演劇部の経験や自らの想像を糧にスクールアイドルとしての自分が立つステージの創造を試みているのも良かったですね。

まああのド変態妄想をスクールアイドルの何に活かすんだよって話でもあるんですが。ステージ上でレズビでも披露するんか。

 

上述の要素はこれまでのラブライブには薄かった色であり、ある意味では最もスクールアイドルに適した気質であるとも言えます。

 

この先確実に披露されるであろうA・ZU・NAの新曲。

仲間を得た彼女がどんなステージを生み出してくれるのか。その景色に期待しつつ、今回はここで区切らせて頂きます。

 

 

ショウ・ランジュ緊急考察会議~3話感想~

 

 

いやネオスカはアカンやろ

 

 

 

 

 

2話の感想書かずに3話の感想書くなって?

いやそんなことはどーでもよくてですね(よくはない)、ただ今緊急でカメラを回しております。

 

f:id:Gazyamaru:20220416225800j:plain

「来てくれるわよね……?」

 

 

見ましたか皆さんこのランジュの表情、全話までの強者面から一転した子犬のような表情。メスガキでももうちょっと粘るというのにこの女は。

 

まあそこに関してはいいでしょう。追加戦士が早急にキャラ崩壊し始めるのはニチアサのお約束ですから。

 

自分が声高に叫びたいのはこれらの描写から垣間見えるショウ・ランジュのキャラ造形です。

そう―――、

 

 

 

ショウ・ランジュ、友達いない説

 

 

 

 

 

いやまあ、ちょっと待って欲しい。うん、ステイステイ。

そんなものスクスタでわかり切ってるのは承知の上です。その上でこのアニガサキにおけるランジュについて語りたくなっただけデスよこのグソクムシ共。だから振り上げたその拳を一度下げて頂きたい。

 

f:id:Gazyamaru:20220416225848p:plain

「アタシには、真似したくてもできないステージだった」

スクショミスった

 

とにかく今回一番注目したいのはここです。

 

QU4RTZのライブを見て意味深な表情で立ち去っていくランジュ。そして我々オタクはこう言ったシーンからキャラ造形を根掘り葉掘りするのが大好きな生き物です。

 

故に私は考えます。ランジュのこのセリフに隠された真意とはなんであるのか。

一先ず現状におけるランジュを振り返ってゆきましょう。

 

ショウ・ランジュ、前回までの三つの出来事!

 

一つ! SIFを見てニジガクに来日!

 

二つ! 同好会と触れ自らの理想との相違を感じ1人で行く道を選択!

 

三つ! ゲリラライブ等々やりたい放題!

 

カウントザメダル

 

現在ランジュの使えるメダルはソロのみ。

これでは変身できませんね。一番欲深そうなキャラなのに。

 

まあともかく、以上の三つの項目と3話での台詞からランジュが今まで友達が出来なかったと仮定するとですね、彼女がソロを貫くのが「それがやりたいことだから」ではなく「それしか自分には出来ないから」の可能性が出てきた訳です。

もう一度振り返ってみましょう。ランジュが同好会入りを拒否したのは「他の皆やファンと支え合う」という姿勢が彼女の理想と反したからです。

 

ではその理想はどこから来るのか。私はこう仮定します。

と言っても大体スクスタと同様。能力が高すぎるが故に他人が離れてゆくランジュは「誰かと並び立つ」ことを早急に諦めた事でしょう。その上で現状の彼女に繋がる信念があるとするならば、それは「圧倒的な˝何か˝で他者を魅力し、自らについてこさせること」です。

 

SIFで見た同好会の姿とはまさに彼女の理想だったのでしょう。

(夢ここはどうすんだって?いやまあ、オタクな割に都合の悪い部分は目を瞑る愛と善意の伝道師ダークノワールブラックシュバルツさんとかいますしそこはご愛敬で)

 

他者に頼らない""ソロ""で輝いてたから、「これなら私も……」という理由でニジガクに来た。

けれど同好会の皆の姿勢は自分の理想と異なるものだった。自分には出来ないと切り捨てたものだった。そうなると否を突き付ける他ありません。

2話で放っていた「パフォーマンスに支障が出るから」云々の発言ももしかするとランジュ自身のことではなく、自分が加入することで同好会に与える不破を懸念しての発言であった可能性もあります。事実同好会の姿勢自体は肯定している訳ですから、あくまでもランジュ自身には出来ないというだけで(うろ覚えなんで確証ないですが)。

栞子への表情もこの辺に繋がってそうですわね。

 

と、まあこのように。

上述のことからランジュは本国で友達がおらず、その際に見たSIFと˝ソロ˝のスクールアイドルの姿から、他者に自らを認めさせその上で˝ファン˝という形で付いてこさせることを選んだ……という仮説が立てられた訳ですがここで私から一言、

 

 

 

 

 

悲しくない??????

 

 

 

 

自分で考察しといてアレですが胃が痛くなってきましてよ????このアニメ見てる6割方のオタクが経験してそうな過去を背負わせないでくださいまし?????胃薬ゴクゴクですわぁ!!!!!

 

取り敢えずこの予想が当たってしまうと私が棺桶に入ってしまいますのでどうか制作陣方、この予想をいい意味で裏切る展開の程宜しくお願い致します。

 

以上、締め括り方が下手なことに定評のある私が放送直後のメンタルでお送りいたしました。

何とか放送日の内に書き上げられて一安心(日を跨ぐとダレるので)

夢はそこからはじまるよ ~虹2期1話を経て~

 

「あなたが私を支えてくれたように……あなたには、私がいる」

 

f:id:Gazyamaru:20220403155055j:plain

 

自分達は˝あなた˝に応援されてここにいるから、もし˝あなた˝にも叶えたい何かができたなら、今度は私達が応援したい。

˝私˝を支えてくれた沢山の˝あなた˝に対して贈られた、スクールアイドルからの曲、「夢がここからはじまるよ」によって締め括られたTVアニメ ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 1期。

 

その続きの物語である2期の冒頭で示されたもの。それは―――、

 

f:id:Gazyamaru:20220403155859p:plain

 

 

「与えるだけでいい。誰かに支えられなきゃパフォーマンスもできないアイドルなんて……情けないわ」

 

 

1期での結論に対する、バリッバリの宣戦布告であった。

 

 

 

 

 

f:id:Gazyamaru:20220403160019j:plain

画像ちっちゃ(これしかなかった)

 

 

正直言うと、アニガサキ2期にはそれなりに大きな不安を抱いていた。

 

だってそうだろう。辛味噌(R3BIRTH)の3人を出すということは必然的にスクスタ20章に近しい内容を描かなければならないということ。自分自身そこまであの内容に目くじらを立てている訳ではないが、それでも周囲からの評価が喜ばしくないものであったのは知っている。それが故の不安は当然付き纏うものだ。

 

 

だが我々は忘れていたのだ。

2020年にも似たようなことを宣い、似たような心境でこのアニメに臨んでいたということを。

 

そして我々は忘れていたのだ。

不安の中始まったこの作品に――――度肝も心もぶち抜かれる結果に終わったことを。

 

 

 

まあ、つまりアレです。結論から言うとですね。

 

川村監督に田中仁氏、並びにこの作品に携わった方々、本っっっっっっっっっっっ当に申し訳ございませんでした。やはり貴方様方こそが神です。

 

 

さて、このように現実のオタクが全く成長していない反面で作中には成長してるオタクが存在するんですよ。それが˝あなた˝であり我々の代弁者でもある高咲侑。

 

彼女は1期で優木せつ菜というスクールアイドルに触れたことがきっかけとなり自らの夢を見つけ、2期の冒頭では彼女が悪戦苦闘しながらも同好会の皆と共に道を行く様子が描かれました。

 

そしてそんな高咲侑へのアンチテーゼとして虹ヶ咲学園に乗り込んできたのがショウ・ランジュ。自らの夢のためにステージに立つ人達を応援する選択をした侑に対し、ランジュは自らステージに立つ˝特別な存在˝になることを選びます。

 

その意志に違わずランジュの才覚は群を抜いたものであり、パフォーマンスにより観客を強制的に自分の世界へと誘う程の実力と魅力を備えています。

 

f:id:Gazyamaru:20220403160207j:plain

 

(ここの演出はアニガサキお得意の領域展開(違う)が用いられてますが、1期1話での「Chase!」があくまでも侑の感じた体験の視覚化だったのに対し「Eutopia」は上述の通り観客を自らの世界に誘うような演出になってたのがまた良きですね。もう本当に与えるだけの者としてそこに顕現してるんですよ)

 

対し侑。

同好会での活動が忙しいことが響き、転科したばかりということもありただでさえ周囲より遅れている音楽科での授業で赤点を取ってしまう始末。22点でにゃんにゃん。

(実際普通科時代の侑の成績が悪いものでないことはこちらも1期1話で語られているのでそれなりにヤバい状態なのはなんとなくわかります)

 

そんな侑に対しランジュが放ったのがこの一言、

 

「同好会を離れて、その夢を真剣に追い求めるべきよ」

 

侑を突き放す発言とも取れますが、これは侑の夢を尊重しているからこその進言でもあります。

 

本気で夢を追い求めるのならば、それに相応しい場所に身を置くべき。

 

実際ランジュはSIFの映像を見てスクールアイドルのトキメキに触れ、自らもスクールアイドルになるという目標を果すべく虹ヶ咲へと留学をしています。(まあ結局スタンスの違いから同好会には所属しないのですが、それも上述の通り本気でスクールアイドルに向き合ってるから、なんですよね)

そんな彼女にとって夢を追い求めながら関係のないスクールアイドルを傍で応援する侑の姿勢は信じ難く映ったのでしょう。

 

ただしそこは流石の主人公。これに対してはしっかりとレスを返しており、ランジュの考えを認めた上で、

 

「でも、やりたいことをやりたいって気持ちだったら、私だって負けてないつもり」

 

と言い切ります。

 

そもそも侑の夢の始まりは「スクールアイドルを応援したい」という気持ちです。それが無ければまず音楽の道にも進んでいません。これに関してはランジュにも通ずるものがあるでしょう。

 

ランジュもまたスクールアイドルの輝きに触れて目標を得た者であり、その始まりはやりたいという気持ちだったはず。彼女ならばできるできないに関わらずそれを追い求めたはずです。

 

そしてそれは侑も同じ。(まあここに関しては正直憶測な部分も大きいですが)侑にとってはスクールアイドルの皆を応援することも夢を追い求める内の一つなのでしょう。だからそこに出来るかどうかは関係ありません。

 

(出来るかどうかではなくやりたいかどうかというのは偉大なるかんかんみかん先輩も仰ってましたし)

 

 

 

 

 

 

それを踏まえた上で冒頭に挙げたランジュの発言に戻ります。

 

彼女の主張としては「誰かに支えてもらうアイドルは自分の理想と違う」、なのですが、ニジガクの皆はそうではありません。

 

虹ヶ咲は「個」であり「仲間でライバル」です。けれどそれは自分ではない誰かと繋がっていることで初めて成立するもの。

特に果林先輩の回なんかでは強調されてたと思いますが、彼女達は誰の応援に支えてもらうことの大切さ、それにより発揮できる力を知っています。そしてその集大成こそが最終話のSIFでした。

(だからこそ侑と共にランジュと正面から向き合えたのも良かったですね)

 

 

互いが互いの在り方の強さを知るからこそぶつかり合う第2回SIF。

もうたまんねぇなこれ。

 

 

この物語が何処に進んでいくかはわかりません、ランジュが誰かに支えられることでの強さを知って仲間になるのかもしれませんし、高咲侑トゥルースになるのかもしれませんし、また我々オタクの想像を超えた展開が待っているのかもしれません。(下記画像は極端な例です)

f:id:Gazyamaru:20220403160348j:plain

 

けれどいずれ示されるであろう彼女達の答えがまた素晴らしいものであることを願って、我々はその行く末を見守るとしましょう。

 

初めて筆を執った形となりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました